今日の「鶴見な人」vol.7
服部 宏昭さん(酒店店主兼商店街会長兼アートプロジェクト代表)
挑むは“アート”
作り描く「楽しいまち」
服部 宏昭さん 小野町在住 52歳
「アートって言われて、初めはよくわからなかったよ。まちが盛り上がるならという思いだけ」。開口一番、そう言って笑う。
知人からの声がけで始まったアートによる地域活性化。
半信半疑でのスタートは2019年。横浜市が進める芸術や文化の持つ「創造性」を生かしたまちづくりの拠点の一つ「象の鼻テラス」=中区=との出会いからだった。
◇ ◇ ◇
「いきなり外人が嵐のごとく来て帰っていった」
象の鼻スタッフが招聘した世界各国のアーティストたち。「アートによるまちづくり」の話を聞いてすぐ、鶴見小野を訪れた。
まち歩きに帯同し、自身の営む酒店併設の角打ちで飲み交わした。
「このまちにはチャンスがあるって。気に入ってくれてさ」
仲間を募り、議論を重ね、2020年、アートプロジェクト「we TREES TSURUMIプロジェクト実行委員会」を立ち上げた。
突然の別れ、変わった景色
小野町に生まれ育った小野町っ子。仲通りの酒店から先代の父が独立する形で開いた伊勢屋酒店を切り盛りする。
この地に根づき50年以上の酒店だが、「まったくやりたくなかった」と明かす。
簿記の専門学校を卒業した当時、跡を継ぐ気はなく、東急ホテルに就職した。
◇ ◇ ◇
「二人いる兄が継がないから、帰ってきてくれって言われて」。20代中頃の遊び盛り。「毎日イヤイヤやっていた。自分の楽しみのことだけ考えてた。角打ちに来る客が早く帰らないかなとかね」
そんな日常を変えたのは、先代との急な別れだった。2010年、39歳のとき、商店街の会長も務めていた父が急逝。
やらざるを得ない―代表となり視点が変わった。
自分だけの目線から商店街やまちのことが見えてきた。
◇ ◇ ◇
京浜工業地帯の隆盛から幾年か、父の急逝後、人も店も減るまちのなかで、商店街を解散して街路灯を維持するだけの組合に変更する話が出たこともあった。
「若い人間で何とかするからと説得した」。芽生えた「まちのため」という思い。
その後は補助金なども活用しながらイベントを企画。2015年からスタートしたハロウィーンイベントは現在も続く人気企画に成長した。
ちょうど駅前の再開発により看護学校や病院、高齢者施設などが建ち、横浜サイエンスフロンティア高校が設立されるなど、まちの景色も一変し始めたころだった。
ピンクのドットがもたらした手応え
コロナ禍に入った2021年、海外からのアーティスト来日が見込めないなか、国内にいる作家などと協力して実現した1回目のフェスティバル。
メインコンテンツにすえたメッセージ入りのピンクのドットは、スイス人デザインユニット「so+ba」が手がけた。ピンク色がまちなかに広がる様子を目の当たりにし、「関心を肌で感じた」。
小学校でのワークショップ、寄せられるメッセージ、募った手応え。
まちづくりの勉強会を定期的に実施し、2022年に活動拠点となる「ONO POINT ART SPACE」をオープン。アーティストなどによる展覧会を開くなど、WeTTプロジェクトを通し、まちへアートが浸透するように取り組んでいる。
「自立」に向け試行錯誤でチャレンジ中
「面白そう」で受けた話。「こういうスタイルもあるんだと発見だった」と、乗りかかった船のつもりでいた開始当初。
「知り合いが増えた」。一緒に考えてくれるアーティストたち。
「機会を与えてくれた人たちに応えようと思う」。それが今の気持ちだ。
◇ ◇ ◇
今年はウォールペイントがプロジェクトのメインコンテンツになる予定。
「まだまだ浸透していない。もっと地域を巻き込んでいければ」。可能性を感じつつも、難しいと感じるアートを広める方法。
『自立した活動に』と伴走する象の鼻スタッフから言われているというwe TREES TSURUMIプロジェクト。
「楽しみたい。楽しい方がいい」。まちが盛り上がるように、アートを武器に挑む日々。
実は第1回フェスティバル前、新しいチャレンジに合わせて人生で初めて挑戦したというパーマヘアー。
「正直、今も半信半疑かもね」
そう冗談めかす“くるくるパーマ”の酒屋さんが、まちに変化の絵を描く。(了)